前回
の続きです。
私は赤ちゃんの頃に成長ホルモン異常があることが判明しまして、定期的に小児ホルモン専門医のところへ、検査に通っていました。
もしかしたら、背が伸びないかもしれない、と言われました。
いつもとは違う、少し遠くの病院へ母に車で連れていかれ、毎回血液検査をするのですが、
私は毎回、母に「今日注射する?」と聞いていました。
すると母は毎回「どうかなぁ、わかんない」と答えていました。
そして、必ず注射(採血)するのです。そのために行っているわけですから。
それは他県へ引っ越す小学校卒業まで続きまして、そのかかりつけ医に「もうここまでちゃんと成長もしているし、大丈夫でしょう」と言われ、定期検査を終了しました。
(現在の私の身長は163㎝)
2つ、言いたいことがあります。
まず、私って純粋すぎません?
毎回母の言葉を信じて、母が本当に「今日注射するかどうかわからない」んだ、と思っていました。
我が家の6歳児が5歳の予防接種時から「10月頃にインフルエンザの予防接種がある」と把握しているのと大違い。人間の進化を感じます・・・
私がアホなだけ?
私が子供の頃は、長男のような疑いや推測なんて全然しなかった気がします。
ただですよ?
2つ目なのですが、「物なんかにつられない!注射が嫌なものは嫌!!」という思考は長男と私、同じでして・・・
ある年の冬、いつものように定期採血へ行き、私はギャン泣きして暴れました。
そうしたら看護師さんが「がんばったらお面さんあげるよー」と言いました。
その時私は彼女が何と言ったのか聞き取れず、何かをくれるらしいがそんなの関係ない、嫌な物は嫌だ!と思っていました。
採血が終わり、私はサンタさんのお面になっている下敷きのようなものをもらいました。
そこで初めて、あの看護師さんは「お面さん」と言ったのか、と気づいたのです。
私が思ったことは3つ。
「なにこれいらない」
「”お面さん”って言い方なんか変じゃない?言い方も変だしこれをお面と表現するのもどうかと思う」
「こんな物が欲しくてがんばったと思われたら嫌だな」
これを、帰りの車の中でずっと考えていました。
ちなみに、現在は注射は別に平気です(好きではないが)。
さて、美談めいたお話があります。
乳幼児だった私の美しく滑らかな肌に何度も注射され、私が泣き喚く姿に冷静でいられなかった母は、医師に「お母さんは出ていってください!」と追い出され、冷静な父が私に付き添ったそうです。
「原因は何なんですか、どうしたら良いんですか」と詰め寄る母に、医師は「お母さん、現代の医学では分からないことの方が多いんですよ」と言ったそうです。
そうして通院していた私たちの姿を見て、姉は医師になったそうです。
つづく。